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2019-08-29

「数」の神秘に触れる、易マスター講座2日目

広島2期易マスター講座、2日目のプログラムを開催しました。

講師こやまとしのりさんが描いた芸術的な龍馬。

写真に撮ると、天に導かれるように光が差していました。

さて、この易マスター講座は、「易経」という東洋最古の古典と言われる思想学問を5日にわけて深く学んでいく講座です。

易は占いとして知られていることが多いですが、ただ「当たる」とか「当たらない」とかに留まらない、宇宙創造を探求し集約した深遠なものだと捉えています。

だからこそ、私たちが理解するのはとても難しい。

中でもこの2日目のカリキュラムは特に難しい内容なのですが、私自身は特に好きなところです。

とても難解な内容を、こやまさんはこうやって素敵な絵(笑)を描いたり、空気が凍り付くギャグや(笑笑)様々なたとえ話とともに、言葉の限りを尽くしてお話してくださります。

写真を見ていただくと、そんな古典の難しいお勉強をしているようには見えないと思います。

それが、こやまとしのりさんの講座の素晴らしいところ。

うーん・・・。難しい。わからない。

そう言いながら、でも、みんなの顔を見れば、「知りたい」「理解したい」「もっと近づきたい」という好奇心や知的欲求に溢れているように感じます。

そんなに簡単にわかるわけなんてない。

わからないからこそ、もっと知りたい、理解したい、どうしたらわかり合えるんだろうっていう学びを繰り返す。

それは生きているということ、そのものじゃないかと思うのです。

易は「数」の学問だとも考えられています。

その「数」がこの日の講座の最も大切で最も複雑なところでした。

だから、講座後の懇親会でも、その後の2次会でも、この数への議論が止まらなかった。

私たちは数というと、リンゴが1個、2個・・・とか、20歳、30歳・・・とか、体重50㎏・・・とか、

お財布に1000円あって、コーヒーが100円だから、残り900円で・・・とか、

そんな数える手段や計算する手段の一つとしての認識があまりにも大きい気がする。

だって、それを主体として数の教育をされてきたのだから。

でも、易経をみていくと、「数」というものの概念がそもそも違っているような気がしてきます。

「数」にはもっと、得体の知れない何かうごめく物が括られている。

言霊(ことだま)同様、数霊(かずたま)という言葉があることが、それを物語る。

1と言ったら、それはリンゴ1個の1ではない。

1は変化し動き創造する何か大きなエネルギーを内在している。

ここがもう少し論理的に語れたらと思うんだけど、今の私にはできないところがとてももどかしい。

でも、きっとこれまでの「数」の概念を覆すことは、既存の私を超えていくことに通じている。

これまでのやり方、私の中に既にある言葉や知識では、既存の概念を超えられるはずがない。

じゃあどうするの?って・・・生き方を変えるんだよ。

本気でね。

この日のお食事は、北海道中標津から送っていただいた貴重なグラスフェッドビーフをメインにお料理させていただきました。

私はいつも、料理をしながら自然と対話し、これまでの自分のやり方を超える挑戦をしています。

食べてくださるみなさま、いつも本当にありがとうございます。

私が易を学んできて本当に良かったと思うのは、運命は自分で動かし創造していくものだとわかったこと。

易の卦が見せてくれるのは、決められた未来ではない。

私たちは知ることによって「変えられる」という可能性があるということ。

変化を知るための、変わらない法則「理(ことわり)」を学ぶんだよ。

最近読んだ本に書いてあった一節をシェアします。

「・・・ただ分化発展していくだけですと、分かれ分かれていきますから、ついにはわからなくなるのであります。このわからぬと言う言葉は面白い言葉でありましてもともと易学の言葉です。普通は頭の問題と思っておりますが、本当は創造-クリエーションの問題で、あまり分派すると力がなくなり、あまり茂りすぎると生命力、創造力がなくなりますから、わからなくなる、そこでこれを結ばなければなりません。枝から幹に、幹から根にという具合に結ばなければなりません。これが創造の理論であって、易の陰陽の理論でもあります。」(安岡正篤「易と人生哲学」より)

まさに易の抽象化にそのヒントがありました。

本当にわかりたいのなら、いつまでもわからないフリをするのはやめよう。

枝葉の世界から、幹へ、根へと視座を変え、振る舞いを変える。

「生数1、2、3、4は、5という人間の意識を介して成数6、7、8、9となる。もしかしたら私たちの無意識は、1、2、3、4の世界を見ているのかもしれないよ・・・」って。

こやまさんが講座で伝えてくださったこの言葉が、琴線に触れる。

無意識が見ているその世界。

そこに生きながらにして近づけたとき・・・どんなものにも、どんな人にも共通にある美しさに、私たちは気づくことができるのかもしれないね。

ご一緒するみなさまと、まだまだここから、易探求の旅を続けたいと思います。

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