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2019-05-28

易が教えてくれたこと

今日、ある問いで卦を立てていたんだけど、

そのあとすぐに強烈なインスピレーションがあって、心の声というのか何なのか・・・突然、言葉が浮かんできた。

それは、

「易は究極の自己信頼」

という言葉だったの。

どうしてもこのことを書いておかなければいけない気がして、この分野の専門家でもなく好きで続けているだけなので、うまく書き表せるかわからないけれど・・・

私がもっている言葉で、できるだけ書いてみます。

易で卦を立てて何らかの示唆を得ることを、何か人間とは別の大いなるものに答えを与えていただいているように捉えている人も多いのではないかと思う。

実際に私が読んだ本でも、そういう表現で書かれた物もある。

易のような「卜(ボク)」は、人間の次元を越えた何者かに啓示を受ける・・・と。

私が易を学んだこやまとしのりさんは、講座でその何者か?を「時空」と表現されるので、私もそう言うのが一番しっくりきている。

それで今日浮かんだ「易は究極の自己信頼」という言葉。

これが私自身すごく腑に落ちて、だから私は易をすると心が整うし、だから易をすると最も純真な自分に出逢える気がするし、だから易が好きなんだってわかったのです。

インスピレーションから芋づる式に以前読んだ本に書いてあったことを思い出して、その本を引っ張り出してもう一度読んでみた。

易に造詣の深い心理学者ユングは、心を4つの層で表している。

最も表層は、自我意識。

その下は個人的無意識。

そのさらに下には集合的無意識。

そして、最も深く底にあるのが、類心的領域・・・と。

類心的領域というのは、心とも身体とも言えない、自然そのものに直接関係している、繋がっているとも言ってよい領域。

易はこの類心的領域にアクセスし、私たちが意識できる外の世界に反映させること(外応)で未来への手がかりを得るんじゃないかと理解している。

そこでまたこの言葉「易は究極の自己信頼」。

確かに、人間の次元を越えたレベルにアクセスをしていることに間違いはないと思う。

でも、私が卦を立てるとき、その大いなる何か?は、確実に「私」なんだ。

「私」と言うときに、たいてい人は自我意識の領域を指して言う。

でも、真の意味での「私」は、自我意識があり、個人的無意識があり、集合的無意識があり、そして、類心的領域で自然と一体となっている。

易の卦を立て、その卦を信じることは、まさに「私」を信じること。

易と信頼関係を結ぶことは、真の「私」と信頼関係を結ぶこと。

自分を信じるとか、自己信頼とか、それが大事だって言われても、現実的にどうしたらよいかわからないって、そういう人がとても多い気がしている。

誰かに言われて試みてみたところで、すぐに元の場所へ引き戻され、迷い、自信を失う。

本当に癒やされるとき、きっと私たちは底の底の最も底で、一つに繋がっていることを知るんじゃないだろうか。

それは、このカラダに広がる小さな宇宙と、このカラダの外に広がる大きな宇宙が感応する喜び。

実は私、自信というものを失っていたのです。まぁ、もともとそんなにないんだけど。

人は小さな自分を一回り大きくするような変化の時、一度粉々に崩壊してしまうのではないかしら。

バラバラに砕けたその欠片を、一つ一つ拾い集めるような時間を過ごしていたのですよ。

でも、この週末に出逢った人たちのおかげで、なんだか新たな形が見えてきた。

また内なる声を聞くことができはじめています。

早速の今日のこれね。

私が易というものに出逢った意味がきっとここにある。

最近、卦の立ち現われ方が変わったなって自分で感じていたんだけど・・・

卦を立てるときに、今日のインスピレーションは忘れてはいけないなって思います。

易者になるわけじゃないけれど、大切な私を信頼する試みだから。

易が、教えてくれたこと。

読んでくださった方にもシェアします。

別に自己信頼のために易をする必要はないんだけど、何か意味があって出逢うとしたら・・・ピンときた方に、「一緒に易を学んでみませんか?」

ご一読ください。⇒「広島2期・易マスター講座のご案内」

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