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2018-06-08

哲学する料理

家庭料理の基本を丁寧に学んでいく講座、「台所と料理の心得レッスン」がスタートし、第1回目を2グループにわけて開催しました。

テーマはお出汁とお米なのですが、出汁をひいてごはんを炊いて、それらを生かして簡単なおかずとおむすびをつくるだけ。

 

とってもシンプルで地味なレッスンです。

はっきり言って、それほど丁寧に出汁をとらなくても料理はできるし、

日本人でごはんが炊けない人はそれほど多くいないと思います。

粉末やパックに調合された簡単美味しいお出汁や、炊飯器のスイッチ一つで艶々の美味しいごはんが炊ける時代ですから。

それなのに、いちいち基本に忠実にお出汁とお米に向き合ったりするわけです。

手間ひまかけたお出汁やごはんが美味しいというのはありますが、家庭で毎日丁寧にやるのが現実的に大変なことも知っています。

私自身も、日常はお出汁を使わない料理が中心です。

食材をちゃんと活かせばお出汁がなくても十分美味しいものが作れます。

では、なぜわざわざこんなレッスンをしているのかというと、それは私に「諦められない問いがある」からです。

それを考え抜くことを、きっと、哲学するというのかもしれません。

何かを考え抜くことは必要不可欠ではありません。

特別な問いはなくても生きていけますし、なんら困りません。

だけど、その行為は明らかに私自身を支えています。

私が考えてきたことは、いつのまにか私の振る舞いとなり、いつのまにか私の言動となり、そうやっていつのまにか表層に現れます。

料理は本来、情報が深く層になっています。

様々な料理の手技手法がありますが、それは表層の内容であって、それを語ることは掘り下げていることではありません。

情報が簡単に手に入り食と結びつく健康法や栄養学などが次から次へと溢れています。

その時その時の流行のような情報に惑わされることが多いのは、表層のみで議論しているからです。

そこで語られる言葉やそこで繰り広げられる振る舞いは、どんなに素晴らしそうに見えても、上滑りしがちであることは、わかる人にはわかるものです。

 

私は、たまたま料理というきっかけを通して哲学しているようなものです。

参加してくださる方には、料理を丁寧に取り組むことを通して、それぞれの哲学を見出せたらいいなと思っています。

難しく書いてしまいましたが、それぞれがそれぞれの問いを考えるきっかけになったらいいかなと思っています。

 

他人の哲学をやることは本来の哲学ではないと思います。

それは、すでに出来上がった他人の思想を単に学んでいるにすぎません。

そこから自分で考え抜くことが哲学だと思っています。たまたま同じ問いであれば、同じ思想に行き着くかもしれませんし、それはわかりません。

あなたの哲学から行き着いたあなたの思想が、表層に現れる言動や行動になり、何をやるにしても、あなた自身を支えてくれるだろうと思います。

 

そんな不思議な料理?のレッスンに来てくださったみなさんとは、深く切り込み、ときどき揺さぶりをかけつつ・・・笑

楽しくわかりやすくやっていくつもりです。

そして、家庭料理の基本的な知識についても、ちゃんとお話していこうと・・・思います。

これから数回、どうぞよろしくお願いします。

 

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