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2017-03-07

お料理教室で伝えたいのは、心地よい余韻が残る家庭料理

ここ最近は、5月末からスタートする教室の構想を色々と練っています。
お料理教室の形態はほぼ決まっているのですが、一番大変なのがレシピ作り。

毎回のことですが、このレシピ作りには生みの苦しみを伴います。

私は、オリジナルの料理を作るのは得意です。
食材をみて、直感的にお料理を作りますし、むしろその方が料理本などを見ながら作るよりも不思議と美味しいものができます。

ただ問題なのが、その直感的に作った自分の料理をレシピに起こすこと。

これはですね・・・本当に、骨が折れる作業です。
レシピにしようとすると、調味料をある程度大さじとか小さじとか、何グラムとか、そういう一定量で示さなければいけなくなりますし、行程を文章で表現しなくてはいけません。

そうすると、とたんに美味しさが半減します。

こんな経験はないでしょうか。
料理研究家のレシピを書いているとおりに作ったつもりなのに、美味しくならなかったということ。

オリジナルのレシピを作ってみるとわかるのですが、レシピには文章では表現できていないことがたくさん隠れているのです。
実のところ、このレシピの文と文の間に隠れている微調整が出来上がりの状態を左右します。
だから書いてあるとおりを作っても美味しくならないということが起きてしまうのです。

それで色々、どうしたら良いレシピになるのかと悩んでいた頃があったのですが、あるときふと気付いたのです。
私が、完璧なレシピを作る必要なんてないのではないか?と。

レシピの文と文の間に隠れている微調整があるからこそ、そこにそれぞれの家庭の味ができる可能性があるわけです。

私は、プロの料理人ではありません。
プロの料理人というのは、ご自分の表現できる完成形の料理をお客さまに食べて頂いて、その価値に値する料金を頂いていると思います。
だけど私がやりたいのは、お料理の楽しさや作り方のコツ、食材と向き合う姿勢といった、レシピには書くことができないものをお伝えする教室です。
自分が作った料理を美味しく食べてもらうことを目的にはしていないのです。

それに気付いて以来、私はレシピの中で自分の料理としての完成形を目指さないことと、次の展開への可能性を持たせることを大切にしてきました。

 

昨年開催した教室に来て頂いた方には、折に触れてお伝えしていましたが、私が作ったレシピをベースにして、味や食材を足したり引いたりして、それぞれのお家の味にして頂きたいのです。
作り方も、各ご家庭に合った作りやすさというものがありますので、それをどんどん取り入れてほしい。
誰かのコピー料理を作るよりも、未完成のレシピから「我が家の味」にしていけるという、次に繋がる可能性の方を大切にしていきたいと思っています。

ただですね、手前味噌ですが、私は自分がつくる完成形の料理も好きなのです。
「これが私の料理」っていうものは、家族の食卓やおもてなしをするときのように、食べて頂くことが目的のときに振る舞って楽しませて頂けたらいいかなと思っています。

(先日の桃の節句)

 

私が考える家庭料理で大切なことは、上手く作ることではありません。

上手く作るのって実はルールさえ覚えてしまえば、簡単にできたりします。
だから、外食産業では万人受けする安定した味の美味しい食品がたくさん消費されているのです。
でも、家庭料理は不安定だったり、いびつだったりするからこそ良いのですよ。

完成形の料理をそのまま覚えて、そのまま真似をして作るよりも、大切な誰かのことを考えながら工夫して作った料理は、それを受け入れた体や心の片隅にのさりげなく残ります。

テレビや雑誌で盛んに取り上げられるような流行の時短料理とは違うけれど、丁寧に向き合いながら心地よい余韻のある料理作りをお手伝いさせていただきます。

レシピ以上のものをお家に持って帰って頂けるように、生みの苦しみを味わいながら準備に勤しみたいと思います。

 

 

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