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2018-10-05

思い立ったので人生語ってみる。わたしの物語②

さて、前回の続き。

こういうのは勢いのあるときに書いた方が良さそうなので、勢いのままに書いてみます。

私は、大学から実家を離れて一人暮らしを始めます。

家を離れればあの悲しい現実を目の当たりにしなくてもよくて、少しは気持ちが楽になるかと思うかもしれませんが、実際はその逆でした。

離れているのでその場にいることは少なかったけど、母は重要な話は長女である私にしていたので、現実的にどういう状況になっているかは耳に入っていました。

混乱した状況を断片的に聞くことで、逆にどうにもできない無力感に苛まれ、絶望は深くなりました。

そして、一人苦しみながら、どんどんと心を閉ざしていきます。

と言っても、私って上手くやれる人なんです。人に見せないのです。

それほどの状況にいたことをあまり気づかれないようにできちゃうのです。

だから深く関わらなければ、「何の不自由もなく温かい家庭で育った子でしょ」って言われることが多かったです。

 

これも後にわかったことですが、私は両親を、とくに母を幸せにできるのは自分だと、この家庭の中でバランスをとれるとしたら私だと思っていました。

人の思い込みの力は恐ろしいものがあります。

助けたい、でも助けられないという葛藤。

それが、勝手に自分で背負った責任であったことが、そのときはわかりませんでした。

当時のことを振り返ってよく思うのです。

どんな苦しみのときにも、そこにはひとすくいの喜びがあるものです。

それに気づくか気づかないかだけで、その小さな小さな喜びの欠片が、どこかで生きる方向に導いてくれているような気がします。

 

家族のことはずっと大変だったけど、大学時代には素敵な人とたくさん出会い、人との関わりの中で学びながら生きる力をもらっていました。

印象深い出来事を一つあげるとしたら、卒業研究の調査で、早朝から担当のゼミの先生と一緒に車と船で研究地に出向き、データをとるということを繰り返していた時期のことです。

その先生と移動中一緒にいる時間が長く、色々な話をしました。

学校生活のこと、卒業してからの夢や理想。

そして家庭環境のことを一番話していた方がこの先生でした。

先生は静かに私の話を聞き、多くを語るわけではないけれど、ただただ大きく受け止めてくださっていたように思います。

そのとき、先生から言われた忘れられない言葉があります。

「どんなことでも、あなたがやりたいことを、思うようにやってみたらいい。もしあなたが間違ったことをしていたら、間違っていると教えてあげるから。心配せずにやりなさい。」って。

それは私という存在を根底から信じてくださっているような、優しくて強い言葉でした。

今でも、私に勇気を与えてくれる言葉です。

 

因みにこのとき先生の指導の下書いた研究論文は二つの賞をいただいたのです。

言葉はときに人を縛り苦しめることもあれば、人に溢れるほどの希望を与えることもできるものですね。

(先生、お元気だったらいいな)

 

あの頃出会った人たちは、男女問わず本当に優しい人が多くて。

きっと私は心を閉ざしていて余裕がなくて、ちっとも人に優しくできなかった気がするけど、それなのに本当に涙が出るほど優しい人たちに囲まれて、その頃を超えることができました。(みんな、ありがとね)

 

そして、前後関係がまったく思い出せないけど、たしか卒業間際の時期に、やっと父と母は別に暮らし始めたのではなかったかと思います。

食行動というものは、自分を育てた人、特に母親との関係性に強く影響されると言われています。

もしかすると、様々なセラピーやメソッドでは、「こういった過去のトラウマが影響して・・・」とか、「満たされないものがあるから・・・」なんて分析ができるかもしれません。

どれにおいても、きっと、その通りだと思います。

でも、最も大切なのは、今ここにリアリティをもった苦しみを感じている一人の人がいるということです。

よく、その症状や問題の裏側を分析し深掘りしている方をみかけますが、自分でその原因追及をやり続けている内は、そこから抜ける道のりはまだ長いと思います。

ある程度の内省期間は大事です。でも、いつかそこを離れなければならないのです。

もし原因追及が必要だとしたら、やはりそれは、伴走してくれる第三者の助力があってこそだと思います。

 

自分のトラウマのようなものを自己分析したり、自分探しの旅をしているばかりでは、その思考の枠から出ることはできません。

いつかの過去の出来事を追求している間は、今ここにいるリアリティをもった自分と対峙しなくてもよいのです。

今の自分を直視することは、実はとても勇気がいることです。

 

でももし、本当に自分を解放してあげたいと心から(本当に心から)望むなら、行動するしかありません。

*但し、ある種の精神疾患の場合はやはり一人で動いてはいけませんし、どうやっても動くことができない状態まできていることもあります。それはまた別の話。

 

自ら決めて動くしかない。

大それたことをするというのではなく、一見小さくてささやかな一歩から始めるのです。

もしそれがあなたが本当に望んでやっている行動なら、その結果はあなたを悲しませたりすることはありません。

 

身体であっても心であっても、不調や何らかの症状は、急に突然治る日がやってくる!というものではありません。

そういう人がいたとしても、ごく希なことだと思います。

本当はゆっくりと、じわじわと、緩やかな波を繰り返しながら回復の道を上っていきます。

そしていつの間にか、気がついたときにはその症状がなくなっているといった感じです。

 

「一瞬で回復する!」と言えば、「明日からハッピー!」などと言えば、聞こえは良いかもしれませんが、本当に回復に向かうときには、揺らぎながらゆっくりと進んでいく自分を許してあげてほしいのです。

人間の身体はそんなに粗くつくられたものではありません。

いつも自分を生かすように導いているのです。

ゆっくりと、でも着実に。

 

どんな状況であっても、あなたは今日まで生き抜いてきた。

それが目の前にある最も大切な事実です。

そのことを、どうか誇りに思ってください。

 

長くなってきましたが、そろそろ次で終わりたいところ。

さぁ、どうなるかな・・・。

 

つづく

 

 

 

 

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