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2018-10-06

思い立ったので人生語ってみる。わたしの物語③

私はこどもの頃から、今見えていない世界、例えば私の後ろ側の世界には、もしかしたら何もないのかもしれない・・・本当は私一人だったらどうしよう・・・って考えているような子でした。

だから、「いったいこの世界はどうなっているのだろうか?本当のことが知りたい!」と常に『本当のこと』を求めていたところがありました。

その延長で、心身の学びを自ら深めていったのだと思います。

 

ここに書いていることは、私の記憶の中にある出来事とそのとき感じていたことを思い出しながら書いています。

そこに加え、私がこれまで学んできた心理学や哲学や思想などの中で、ただの受け売りではなく、経験を通して本当に自分のものになったと思えることだけを記述するように気をつけながらすすめています。

専門的な分野は説明が不十分なところがあると思いますが、そのことをご容赦ください。

 

さて、②のつづきです。

無事に大学を卒業した私は、理学療法士として就職し母の元には帰らずに一人で暮らしていました。

母と父が一緒に暮らすことをやめて、家庭の中はいったん落ち着いたかのように見えました。

確かに、昔のような修羅場はなくなっていましたが、ただその家に父がいなくなったというだけで、私の中の苦しみは消えることがありませんでした。

「私と親」をテーマにした問題は、表面的な形を変えながら、でも根本的には同じことを繰り返していたのです。

 

仕事に関してはとても厳しいものではあったけど、そして私はとても未熟だったけど、そのときできる精一杯で取り組んでいたと思います。

人に必要とされること、私が関わることで怪我や病気から回復して元気になっていく人がいることに、喜びを感じていました。

期待に応えようと、必死でやっていました。

 

それなのに私は、どんどんと疲弊していきます。もう、身体も心もボロボロで、それでも朝早くから夜遅くまで働く。

それは自分自身を切り売りするような状態で、仕事への依存状態、自己承認欲求の形だったと思います。

もちろん私は、そのときにそれを自覚していたわけではありません。

それに気づいたのも、ずっとあとのことです。

 

①の中で、どんな専門家がすぐれているかという点について少し厳しく書きました。

それは、私がこの経験をしているからです。

自分を大切にできる人が、本当の意味で他者を大切にできる人です。

特に女性は、仕事でもプライベートでも、自己犠牲によって人を幸せにすることはできないと、私は思っています。

 

当時の私は夜熟睡できない状態がつづき、布団の中で、「明日の朝このまま目が覚めませんように」と祈るような気持ちでいたことを覚えています。

身体が動いてしまうと、仕事に行って必死で働いてしまうとわかっていたからです。

 

そんな真っ暗闇の時期に出会った、私とは全く違う環境で育ち、私がずっとほしかった「安定した家族の絆」をもった人と、結婚しました。

 

結婚を機に職場を変わり、以前よりは落ち着いた気持ちで生活できるようになりました。

でも根底では、いつかまた悲しい出来事が起こって何もかもなくなってしまうという恐怖を抱え、その時がいつきてもいいように常に心の準備をしていました。

今思えば、どれほど自分が幻想で自分を縛っていたのかがわかります。

『恐れ』とは、そういうものです。

 

両親との蟠りは消えないままに、なにかが消化されないままに、それが時々表に現われては隠れを繰り返しながら時間は経過していきます。

 

ハードな仕事をずっと続けていたので、首のヘルニアで左手がしびれ身体はくたくたで、このまま仕事を続けることが難しいかもしれないと感じていました。

暮らしは経済的に安定していたので、仕事をいつ辞めても良かったのに、私はいつ一人になっても生きていけるようにしておきたいという気持ちで仕事を辞められずにいたのです。

 

そんなタイミングで、私の身体の中に、一つの小さな命が宿ります。

 

妊娠をした私は、「このままだと元気な子どもを産めないかもしれない」と、急に我に返るかのように、すぐに仕事を辞めることを決意しました。

『いったん、全部やめてみよう』

そのときはじめて、私は人生をリセットすることを決めたのです。

 

こうやって書きながら思い返すと、確実に何かの意図をもって私のもとにやって来たとしか思えません。

以前長女が言ったことがあります。

「母さんを守るためにきた」って。

長女は8歳になったけど、やっぱり今でも、本当に私を守るようにずっと私を見つめ続けています。

こどもって、本当に尊いです。

 

長女を妊娠して、このときから私は本気で人生を変えようと取り組み始めます。

家事と育児をしながら、やりたかった学びを片っ端からやり始めました。

栄養学、健康科学、食育、心理学、経営学、西洋料理と日本料理、代替療法などなど。

35歳になったら理学療法士ではなく自分で仕事をするという漠然としたイメージをもちながら、妊娠中は大きなお腹を抱え、出産してからは子どもを抱っこしたり預けたりして、東京や大阪や九州や名古屋や行けるところにはどんどん行きました。

そしてまさに、起業塾に入って具体的に今に至る活動をはじめたのが35歳の時でした。

 

 

③で完結できるかと思いましたが、だいぶ端折っていてもさすがに人生語り出すと長くなりますね。笑

今度こそほんとに、つぎで完結・・・したい。

実は私が最も伝えたかったことは、このあとに起こります。

 

つづく

 

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