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2018-03-03

自己否定のサイクルを抜け自分を満たすこと

先日は岡山で、易経マスター講座の最終回に参加し、翌日は備前焼一陽窯さんでお米とお出汁のレッスンをさせていただきました。

そんな中で、立て続けに「できない家事あるの?」とか、「なんでそんなに完璧なの?」とかって聞かれました。

これ、よく聞かれる質問です。

そうだなぁ、この完璧という言葉、人生で何度言われただろう。

昔からそういう印象を持たれがちです。

 

それで思い出したことがあって、

10年以上前に出会った年長者の方から「とても良い家庭環境で何不自由なく育ったでしょ」って言われたことがあったのです。

そのとき、「それが、そうでもないんですよね」って私が答えたところ、その方は

「そうじゃなくても、僕が言ったように見えるのは良いことだし大事なことだよ」って言っていただきました。

そっかー、いいことなんだ。それなら良かったな・・・って思っていました。

普通に考えたらわかることだけど、この世に完璧な人なんて一人としていません。ある意味、そのままで完璧なんだけど、それはまた別の意味で。

そして、人は欠落していたり歪だったり偏ったりしているからこそ、それが個性となり、それが魅力になり、そこに惹かれたりするものです。

私自身、どれだけ偏りが多くどれだけ欠落の多い人か、それは自分でも思うし、身近になればなるほど見えてくるだろうと思います。

そして、もしかしたら考え方によっては、私が完璧に見られがちだということが最大の欠点かもしれません。

それゆえの苦しみも、これまでたくさん経験してきていますから。

 

だけれども、私はその欠落や苦しんでいる姿を不特定多数の人に披露していません。

それは、私の美学とでも言いましょうか、私のやり方なんです。

 

ただし、嘘の表現はしないように、そこは気をつけています。

例えばSNSなどで、とても苦しいときに毎日ハッピーとはぜったいに言いませんし、そういう見せ方はしません。

苦しいときは、一人静かに自分にこもっていて必要以上に表出しません。

静かに静かにしています。(ただの根暗です)

そして本当に嬉しいときには嬉しいと、感動したときには感動したと表現しているだけにすぎません。

 

家事は、とても好きで得意なことがあれば、とても苦手で好きになれないこともあります。

苦手なことは、静かにできないままにしているだけです。

仕事だったら苦手なことにも気合を入れて取り組んだりもしますが、プライベートだったら、もう・・・放置です。

できないことを放置する自分を大いに許しています。

 

そして限られた場所ですが、ちゃんと私の欠落を全面開放しておりまして、その落差はなかなか凄まじいものです。

近頃、娘たちがだんだんとしっかりしてきて、「かあさんはおっちょこちょいだからね、そういうところちゃんとしなきゃ!」って、叱られたりしています。

 

そんな私を、まぁ仕方ないなと受け入れて、そういうところも含めて良いと言ってくれる人もおります。本当にありがたいことに。

連続のレッスンなどで関わる方にはすでに気づかれていると思いますが、けっこうドジなことをやっています。

私自身もその場に安心感をもって臨んでいるのですね。

お互いに苦手だったりできなかったりすることがあり、そこへの優劣なんてありません。

たまたまその分野において苦手だったか、得意だったかだけのことです。

それをお互いに許し合い、安心できる場所にしていきたいのです。

自分の至らなさに、どうか苦しまないでください。

そういう自分の歪さや偏りを、許してあげてください。

そうすると、不思議なことに得意なことや好きなことがより際立って輝いてくるのだと思います。

自分自身を受け入れたときにはじめて、人から受け入れられているという喜びを心から感じられるのです。

自分自身が受け入れていない部分で他者からの承認を得ても、それは一時的な喜びに過ぎず、空白を補填することはできないのですよ。

 

私事ですが、最近ジムに通っています。

通っていると言っても、週に何回とか、ダイエットのためとか、健康のためとか、とくに目標も目的も持たず、行けるときに行くというスタイルです。

先日、ジムを終えて自動ドアの外に出た時のこと。

運動して心地良い筋肉の疲労感と少し火照った身体に冷たい外気があたりました。

その日はお天気がよくて、室内から出ると、パーッと明るい青空が広がっていました。

そのとき、本当に心から感動したのです。

いつもと変わらないような、ただのジムの屋外駐車場で。

「なんて幸せなんだろう」って・・・

そんな言葉が自分の身体の中に広がっていくのをしっかりと感じていました。

 

私がジムに行くことで、なにも生産していないし、誰からも賞賛されません。

コンスタントに行けるわけでもなく、大して身体のためにもなっていないと思います。笑

誰の、何の、役にも立っていない。

でもそのとき、私は確かに、私自身を満たしてあげられたのです。

 

ある程度内に籠る時間は大切だと思っています。

だけれども、そうして居続けて自分の欠けているところを攻め続けていては、そこばかりが自分の中で増幅していくという脳のシステムがあるのです。

だから、勇気がいることだけど、ある程度籠ったらときどき外に出てみてください。

内側に答えを求めすぎてわからなくなったときは、外側に目を向けてみるのです。

目的なんて、何もなくていい。

ただ歩いているその道や、道ばたに咲いている草花や、車の音、人の声、遠くの山や、ビルの狭間に、あなたを「生きる方向」に導いてくれるものがたくさんあるのです。

私も、これまでたくさん自己否定をしてきました。

もちろん今でも、苦しいときもあります。

できなかった、助けられなかった、伝えられなかった悲しみを、その想いを、ずっと握りしめてきました。

だから、あなたの苦しみも少しは想像できます。

 

でも今、こんなにも私のまわりの世界は、私に「こうやって生きるんだよ」って教えてくれることに気づきはじめています。

毎日感動的で驚いているところです。

 

無目的に、なんの役にも立たなくていいから、あなた自身にわき起こる感動に触れられる場所に、ときどき身を置いてあげてください。

そうすることを自分に許可してください。

それがいつか必ず、

決して楽なことばかりではないこの世界を、生き抜く力になると思うのです。

 

 

 

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