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2017-06-29

「食」を通して哲学する、どうして私たちは食べるのか?

「食べることは生きること」という言葉は、食育や健康系に携わる方ならよく耳にすると思います。

食べたもので身体は作られ、食べたもので心身の状態は左右されます。
情報が行き交う現代において、それはもう、多く人が頭ではわかっていることだと思います。

私が自分の講座でよくお話させてもらうのは、食べるという行為は、とても大きなリスクを伴うということ。

この世界にあるものは、必ず表と裏があり、光と影がある。

どんなに「身体にとても良い食べ物」というものがあったとしても、どんなに「この食べ方が身体に良い」という方法があったとしても、そればかり食べたり、その手段ばかりとるというのは、大きなリスクになるんだよ・・・というお話をさせてもらいます。

そんな話をしながら、ではなぜ、私たちは命を脅かすリスクさえある食べるという行為をしなければ、生きていけないようにできているのかな?なんて考えていました。

私は、お料理教室を開催する日は特に、食材を目の前にして、今から命と対峙し、命を扱わせて頂くという気持ちを忘れないように、ひとつ自分なりのルーティンをもって臨みます。

そのとき、ふと頭に浮かぶのは、「私たちって、こうやって私以外の命を身体の中に取り入れながら、共に生きているんだな」ということです。

この地球にポンと放り出され、最初はまだ、お母さんのお腹の中でへその緒で繋がっていたのに、それさえもパチンと切り離され、急に一人の人間として生きていくことを余儀なくされる私たち。

みんな根底には、究極の分離感と究極の孤独感をもっているのかもしれません。

だから、ときに辛くなったり、寂しくなったり、自分のことが嫌になったり、人のことが嫌になったり・・・するのかもしれないなぁと思うのです。

そんな究極の分離感をもっている私たちに、食べるという行為は、私たちが私以外の命を取り入れ、咀嚼し、消化吸収し、それを血や肉、エネルギーにして生きていて、本当は共にあることを教えてくれる数少ない方法のような気がしてならないのです。

そのために、食べるという非常にリスクある行為をしなければ、生きられないようなシステムにしたのかな?

 

もうすぐ、当サロンで陰陽五行マスター講座が始まりますし、お料理教室も少しずつ新しい出会いが広がっています。

多かれ少なかれ、みんな同じように辛くなったり悲しくなったりすることもあるんだけど・・・
私のサロンが関われる講座では、様々な命と共に生きているという喜びを、一人であって一人じゃないという矛盾の輝きを、少しでも感じられるものになったらいいなと思っています。

これからお会いできるみなさま、楽しみにお待ちしております。

 

7月のお料理レッスン詳細 〉〉こちらから〈〈

 

 

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